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じいちゃんばあちゃんありがとう。

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気心知れたメンバーと、新たな出会いもありつつ楽しく飲んでたらまんまと飲み過ぎまして、帰宅後化粧も落とさず爆睡。 朝方、遠い意識のなかで電話が鳴った気がしてiPhoneを開くと、じいちゃんが亡くなったから7時半までに病院に来いと。うん、今7時15分。 "もう姉ちゃんちの駐車場にいるから、5分以内に下におりてきて!" と弟に言われましたが、化粧を落としていなかったことが功を奏して30秒で家を出られた(ドヤ顔) とはいえまだだいぶお酒が残っていて、コンディションはなかなか最悪。もはや孫より遺体のじいちゃんの方が断然顔色がいいという稀な状況下でお見送りをしましたが、幼い私がずっと " じいちゃんの匂い " だと思っていた匂いは実は酒の匂いだったという逸話があるほどお酒が好きだったじいちゃんなので、孫が二日酔いでこの世の終わりみたいな顔色で見送りに来たのは本望だったかもしれない(と思いたい) じいちゃんが、もう長くないだろうとさいごの時を過ごす「緩和ケア」の病棟に移ったとき、弟と一緒に面会に行きました。 寝たきりで会話ができる状態ではなかったけど、きっと聞こえてはいるだろうからなにか話そう、、なに話そう?とりあえず日常の話を・・っつって開口一番、「じいちゃん久しぶり、元気〜?」と、とんちんかんなことを口にした私の横で(どう考えても元気ではない)弟はiPhoneのカメラロールを開いて、「じいちゃんのひ孫だよ。じいちゃんがいたから産まれた子たちだよー。」と自分の娘と息子の写真や動画を見せていて。 そのときハッとして、愛情と感謝の連鎖でつながるいのちのことを思いました。 もし今、自分が愛情を注ぎたい友達やパートナー、仲間たちがいなかったら、こんなにも大切に思える人たちと出会えたのは、この世に産まれてこれたおかげだと感謝できないかもしれない。 もし自分のこどもに対して愛がなかったら、つなげてくれたいのちに感謝できないかもしれない。 自分のことが好きになれない場合もそう。 ばあちゃんが、一生じいちゃんと共に歩むと決めてくれた。(本当は当時他に好きな人がいたらしい爆) じいちゃんが一生懸命働いて、ばあちゃんと、お母さんと叔父ちゃんを養ってくれた。 なによりじいちゃんとばあちゃんが、お母さんを産んでくれたから私が産まれた。 ながいいのちの物語を途切れ...