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年始のご挨拶用フレアタオルできました。

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 フレアを設立してはじめての新年を迎えるということで、オリジナルデザインの年始ご挨拶用タオルをネット注文。 この点線あたりでたたむと↓ こんな感じになるイメージで↓ うん、シンプルながらかわいいぃぃ。色もめでたそう。 だがしかしサイトには備考欄的なのがなくて、たたんだときのことを想定したデザインであることを製作会社に伝えられず。これちょっとでもたたむライン違ってたら試合終了感ある、、 デザインの意図を察してビニール梱包してくれることを祈りつつ発注した、イチかバチかのフレアタオルがようやく届きました\(^○^)/ ワクワクしながら、いざ開封。じゃじゃーん! ・ ・ ・ ・ え(困惑) そう。こういう場合たいがい私の落ち度なんだけど、もしかしたら、もしかしたらお店が梱包し忘れちゃった可能性もなくはないよねっつって念の為確認したら「ビニール個装サービスなし」で発注してた。堂々と。 デザインの意図が伝わるかどうかよりも心配すべきところあった、、もっと初歩的で根本的な。ただちにビニール袋を買いに100均に走ったのは言うまでもないw ビニール袋を手に入れ、100均のありがたみをひしひしと感じながら帰宅して、ビニール手袋して(コロナ禍だし)いざ梱包。 だがしかし、これがけっこう難航、、「キング・オブ・不器用」の名を我がものにしている私がもしタオル梱包会社の人だったら確実に「給料ドロボウ」の名も我がものにすることになるであろうトップ・オブ・鈍くささで、なんとか20枚たたんで袋詰めして今日のところは力尽きたのでした。 (まだめっちゃある) なにはともあれ、明日から汗と涙の結晶タオル持って(おおげさ)皆様のもとへご挨拶に伺います。 あと友人たちには強制的に支給しますw

明けましておめでとうございます(遅)

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 明けましておめでとうございます。🐇 とくに誰にも聞かれないので自ら言いますが、私は12/31〜1/1のド年末&ド年始が1年の中でいちばんすきです。 毎年だいたい12/31に大掃除をしますが、今年もまんまと途中でマンガ読み出したり、アルバム見返し始めたり、クローゼットの整理中ムダに着替えてみたりするので、納得いく状態になるには朝から晩までフルにかかるけどそれがまた良い。 友人が送ってくれた年越し蕎麦と友人が購入したおせちで、実に最高で実に他力本願な2022年最後の食事をして、どうしよ、二年参りとか行っちゃう?とかはしゃいでたのに結局年越しまで起きていられず、むしろ普段より早く爆睡(例年通り) せめて初日の出を見に行こうと渾身の早起きをして、なかなかヒドイ寝起き姿のまま、自宅から車で1時間ほどのところにある「高ボッチ」という名所?に向かったにもかかわらず余裕で間に合わず、峠の途中にある景色のいいラーメン屋さんの駐車場で(勝手に)日の出を見ました。 東側の山がぼんやり明るくなってきて、きっとあのあたりから太陽が昇るんだなと予想して待ち構えてたけど全然左だった(そういうとこ)思わせぶりなオレンジ色に元旦から翻弄されましたが、西側の山の上からしずかに、だんだんに街まで光をとどけて朝を知らせる太陽を見ていると、こんな私でもさすがに神聖な気持ちにならざるを得ません。 大好きなお正月ですが、実際たいしてやることがないのでドライブがてら東京へ(さすがに着替えたし多少化粧もした) 天気が良くて、富士山がバッチリ見えました🗻 途中で立ち寄ったお寺で初詣もして、大好きな屋台も堪能。一泊して、ありったけの商品券駆使して初売りで買い物して帰宅。 2日以降は、お雑煮たべて、お汁粉たべて、最終自分が餅(みたいな顔とおなか)になったり。 家にルーがなくやむを得ずルーを使わないカレー作ってみたりして永遠になにかを食べて過ごしました。"リンゴとはちみつ"っていう、数十年前に見たバーモンドカレーのCMで聞いたワードだけを頼りに知人にもらったリンゴと、友人にもらったはちみつを入れてあとは勘で作ってみたけど、これが意外にも天才的なおいしさだったことは記録に残しておきたいし声を大にして言いふらしてほしいです。 それでは2023年、本年も宜しくお願い致します。

会社設立の日に遡って。

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  2022年がおわろうとしています。 株式会社フレアを設立した今年は、私にとってまちがいなく人生の中の記念すべき年です。 この半年、社長になってどんな気持ち?とよく聞かれます。会社を設立した日の気持ちを綴って、今年の締めくくりにしようと思います。 会社の設立日に設定した6月2日、宿泊していた北海道のホテルでiPhoneの一度目のアラームを消しながら、4歳の誕生日の朝のことを思い出しました。 "誕生日"という概念を知ったのは3歳のとき。 踏み台代わりにしていたちいさな椅子がないと洗面台の蛇口に手が届かなかった私は、4歳になったら大きくなるんだから、踏み台を使わなくても蛇口に手が届くようになると思い込んでいました。 4歳の誕生日の朝、目が覚めてすぐにワクワクしながら洗面台へ行きましたが、もちろん蛇口に手は届かず。私4歳になったのに、大きくなってないよ!と、寝ている母を起こしてクレームを言ったのを覚えています。 誕生日を迎えても、記念日が増えても、それはあくまで書類上や形式上の変化だったり環境の変化で、自分自体が急に変わるわけではないことを、その時母が笑いながら教えてくれました。 基本厳しく、いつも顔色を伺いながら畏れていた母が笑っているときに、私は安心感をおぼえていました。 洗面台よりずっと背が高くなった今でも、やはり「笑顔」と「安心感」が私の中で直結します。 会社をつくるにあたり、フレアとして目指すビジョンを決めました。 「お客様と、働く仲間を100%笑顔にする」 私は、ずっと自分がほしかった "安心" を、私の笑顔を通して与える側になりたいと思いました。 "100%笑顔" の定義は、フレアの活動を通して、たのしさと安心感を提供できている状態のことです。 ・ ・ 会社を設立した朝をどんな気持ちで迎えるのか、ようやくスタート地点に立てたことが不思議でもあり、夢のようでもあり、「わたし」がすごく変わるような、3歳さいごの夜とおなじ気持ちで眠りについたわけですが、実際のところ "社長" になっても、びっくりするくらい私は私のままで、びっくりするくらい私のままだと気づく38歳の私の心の奥は4歳になった日の朝のままで、立場が変わっても自分自体が変わらないことに安心感をおぼえました。 とはいえ時代も...

ケッパコでパコパコしながら帰宅した話。

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  社用車で軽のハコバンを買いました。通称ケッパコってやつです。 会社員時代、社用車を我が物顔で乗っていたことはあっても、まさか自分で社用車を買うときがくるとは、、感慨深いですね、30万の格安中古車とはいえ。 私の自家用車は見た目がかわいい以外になんの取り柄もないポンコツフィアットで、この時期暖房つけても左足だけが灼熱地獄、右足は北極にいるような寒さだったり、足回りがどうかしてるせいで、どんな微細な道路の凹凸であろうと逃さず拾って地震体験車かと錯覚するほどの縦揺れを常に提供してくるので、ケッパコはレクサスレベル(予想)の静けさに思えるし暖房も春の陽射しのようなあたたかさで私を包み込んでくるので本当に快適です。 と、ごきげんで乗っていたケッパコですが、昨日なんの予告もなくトランクがしまらなくなりました。 冬の匂いがする。街の音が近くなった気もする。クリスマス前で賑わってるんかなーっつって季節感じて、あやうく車の不具合で豊かな気持ちになるところだった。 教習所の教官ですら、うん、さすがにもうちょい攻めよう。って言うくらいの過去一安全運転したよね、ちょっとしたカーブとか発進時の振動でフルオープンしちゃうから。トランクが閉まってないから、道路の微細な凹凸に合わせてパコッパコッ・・・・・パコパコパコパコパコパコッ・・スー・・ バコパコッ て音がずっとしてる。これがモールス信号? 真っ暗な山道にさしかかって(高速乗るのはやばそうなので3時間かけて下道で帰った)、なおパコパコからのオープンを繰り返すケッパコに乗りながら思ったの。 もしかしてアレかな、私がオープンカーが好きで、フィアットも、その前のワーゲンも屋根があくやつ乗ってて(いずれもポンコツという共通点もある)今回フィアットが奇跡的に売れて、新しい車もまたオープンカー選んだから、AIあたりが気を遣ってケッパコに指令とか出したのかもしれない。こいつはオープンが好きだぞ、おまえにできること考えろっつって。答えを教えるんじゃなく、自分で答えを見つけさせる人財育成系AI。 で、ケッパコもケッパコで意外とポジティブで、自分天井あけられないっすけど、トランクならあけられるっす!っつって、自分がオープンカーじゃないことでふてくされたりしないの。もうケッパコの未来思考が私の常識のナナメ上をいっててまだついていけてない。よりによってこ...

友人の結婚式

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友人の結婚式にいってきました。 ランチしたり、飲んだり飲んだり、旅行に行ったりする長年の友人です。 美♡ 友人と受付をやらせてもらったので、ひと足先に送迎バスで駅から式場にむかいましたが、新婦からの取り計らいでそのバスのなかですでにハイボールが支給されたw(が、もう1人の友人、強者わかにゃーは駅で集合したときすでにほぼあいた白ワインボトルを片手にやってきたww) (ビュッフェに真剣すぎる我らw) マルジェラ合わせてった🐷 (革がまだ硬くて足痛すぎて、 そんなこともあろうかと持参したスリッパで帰宅) 久々の、THE結婚式ですごく良かった。 今まで友人が築いてきた家族や友人たちとの絆が垣間見れる、笑顔溢れる式でした。ごはんもおいしかった(^^) 好きなひとと同じ時代に生まれたことには、きっとなにか意味があると思う。末永く、たのしく暮らしてね。

実にざっくりした沖縄旅行の報告。

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10月中旬、 沖縄に行ってきました。一泊二日の超弾丸旅行です。空港から遠い長野の僻地に住んでいるので、朝イチの飛行機に乗るために深夜3時頃集合する感じで。 前々回の沖縄は、集合の直前まで飲んでいたため最悪のコンディションで出発(自業自得)車が揺れるたびに吐きそうで到着までの2時間が永遠に思えた。 そして前回石垣島に行ったときは出発直前に膀胱炎になって。やはり到着までの2時間が永遠だった(那覇空港に着いてまず病院直行) 抗生物質のおかげで徐々に回復して、やれやれと思ってたら帰りは台風直撃。0.5秒でびっしょびしょになるくらいの激しい雨で、たぶん加藤鷹のスキルをもってしてもさすがにここまではならない。予約してた飛行機が飛ばないと知って青ざめる私たち。翌日出勤しないわけにいかず、海猿の人たちかなってくらい「全員で!生きて!帰る!絶対に!!」って感じで、とにかくその日中に家に帰る方法を探したよね。普通に遠回りだけど大阪行く便は飛んでるんで、大阪経由で羽田まで行くのは可能ですよ〜言われて、結局たっかいタコ焼き食べて無事帰宅した、そんなこともありました。 今回は高速が一区間通行止めなってて下道にまわされるというプチトラブルはあったものの、体調は万全で沖縄到着(とはいえ一時は飛行機間に合わず都内で遊んで帰るパターンも視野に入れた) カラフルなピカチュウジェットにテンションあがるアラフォー(※ポケモンは見たことない) ライトはモンスターボールになっております♡!ってスッチー(死語)がアナウンスしてたからがむしゃらに写真撮ったけどモンスターボールなに 那覇から出る朝10時発のフェリーで約2時間。座間味という離島で、深い青色の海と満天の星空を見ながらのんびり過ごすという今回の計画。 ちょうどお昼頃座間味に着いて、ランチは友人おすすめの「もずくそば」を食べました。これがもずくそば。 意外と寒かったフェリーで冷えた体に、もずくそばのあたたかい出汁が沁みて最高だった。出汁→オリオンビール→出汁→オリオンビールの永遠ループ。沖縄旅行のスタートとしては申し分ない感じで。 13:30 宿にチェックイン。ここで早くも私たちは知ってしまった。先1週間、波の影響でフェリーが運行しなくなる可能性が限りなく高いことを。 民宿のお姉さんが、"もし日程通り帰らなきゃいけないなら、明日フェリーが出る保証...

じいちゃんばあちゃんありがとう。

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気心知れたメンバーと、新たな出会いもありつつ楽しく飲んでたらまんまと飲み過ぎまして、帰宅後化粧も落とさず爆睡。 朝方、遠い意識のなかで電話が鳴った気がしてiPhoneを開くと、じいちゃんが亡くなったから7時半までに病院に来いと。うん、今7時15分。 "もう姉ちゃんちの駐車場にいるから、5分以内に下におりてきて!" と弟に言われましたが、化粧を落としていなかったことが功を奏して30秒で家を出られた(ドヤ顔) とはいえまだだいぶお酒が残っていて、コンディションはなかなか最悪。もはや孫より遺体のじいちゃんの方が断然顔色がいいという稀な状況下でお見送りをしましたが、幼い私がずっと " じいちゃんの匂い " だと思っていた匂いは実は酒の匂いだったという逸話があるほどお酒が好きだったじいちゃんなので、孫が二日酔いでこの世の終わりみたいな顔色で見送りに来たのは本望だったかもしれない(と思いたい) じいちゃんが、もう長くないだろうとさいごの時を過ごす「緩和ケア」の病棟に移ったとき、弟と一緒に面会に行きました。 寝たきりで会話ができる状態ではなかったけど、きっと聞こえてはいるだろうからなにか話そう、、なに話そう?とりあえず日常の話を・・っつって開口一番、「じいちゃん久しぶり、元気〜?」と、とんちんかんなことを口にした私の横で(どう考えても元気ではない)弟はiPhoneのカメラロールを開いて、「じいちゃんのひ孫だよ。じいちゃんがいたから産まれた子たちだよー。」と自分の娘と息子の写真や動画を見せていて。 そのときハッとして、愛情と感謝の連鎖でつながるいのちのことを思いました。 もし今、自分が愛情を注ぎたい友達やパートナー、仲間たちがいなかったら、こんなにも大切に思える人たちと出会えたのは、この世に産まれてこれたおかげだと感謝できないかもしれない。 もし自分のこどもに対して愛がなかったら、つなげてくれたいのちに感謝できないかもしれない。 自分のことが好きになれない場合もそう。 ばあちゃんが、一生じいちゃんと共に歩むと決めてくれた。(本当は当時他に好きな人がいたらしい爆) じいちゃんが一生懸命働いて、ばあちゃんと、お母さんと叔父ちゃんを養ってくれた。 なによりじいちゃんとばあちゃんが、お母さんを産んでくれたから私が産まれた。 ながいいのちの物語を途切れ...