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お誕生日ありがとう(1月)

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 かなりの時差投稿ではありますが、1月がお誕生日でして。友人の数はお世辞にも多いとは言えない私ですが、少数精鋭、棺桶まで末永くお付き合いしたい大好きな友人たちがお祝いをしてくれました(嬉 30代さいごの1年。 両親に「産んでくれてありがとう」と、今までパフォーマンスとしてSNSかなんかに書いたり、結婚式の手紙で読んだりしたことはあっても、いまいちピンとこないまま人生の大半を過ごしてきましたが、ほんのここ数年で両親への感謝の気持ちや 命が誕生することの尊さをしっかりと感じられるようになったのは、関わってくださる方々や、この少数精鋭の友人たちのおかげです。 自分が自分らしくいることを自然に受け入れてくれたり、それぞれ自由奔放ではあるが思いやりや気遣いを忘れずにいてくれるところがすごく心地よい。(あと好きな男子のタイプがかぶらないところも末永く仲良くいられるポイントだと個人的に思っている) この日は大好きな シャングリラ で女子会。 ここのイカの炒め物が好きで。なんともいえないおいしい味がする(語彙力) ハイボールと焼酎は太らない説に全幅の信頼を置いているのでひたすらハイボールで、ホロ酔い(程良い)感じで帰宅しました。 別の日は近所のおいしいパイ屋さんのレモンパイと、手作りチャーシューでお祝いしてもらったり 誕生日は好きなものを好きなだけ食べていいルールで、フレンチトーストとお汁粉食べたあと蕎麦食べてみたり(組み合わせのクセw)、本能のままに過ごして また別の日は、前のブログにも登場した通称 "飲みてぇ会"メンバーがお祝いしてくれて。 火鍋とジンギスカンのお店 子羊樓 おいしくて健康になれそうな予感しかない薬膳鍋(エキスを出す役割と思われる実だか根をうっかり食べちゃうと表情歪むが) 焼き肉の方は、この写真の肉が優勝(なんだっけ) この日もわかなのすんばらしい手作りケーキ食べれて幸せだった(トイレから戻ってきたらマミとわかながめっちゃ必死に型からケーキ出してる途中だったw) #カメラ向けられるとついピースしちゃう昭和感 カラオケ行って懐メロ三昧?して、お誕生日のタスキと頭のやつは使い回しなので管理人わかなに返却して帰宅しました。 メッセージくれた友人たちも、とっても嬉しかった!ありがとう\(^O^)/

お外でカップ麺にハマる(とはいえまだ2回)

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 自他共に認めるスーパー無趣味な私が「外でお湯沸かしてカップ麺食べたい」という、めずらしく活発な夢を抱き早3年。 コロナ禍で日頃アクティブな友人たちがストレスを抱えていく中、休日の過ごし方に関してはなんの変化もストレスもなかった私がいつも通り本やマンガを読んだり、ネットサーフィンしてる中で、キャンプに関する投稿をよく見かけるようになりました。 可能なら暑くも寒くもない室内で人生の大半を過ごしたいし夜はなるべく早く寝たいので、緊急時でもないのにテントで寝るとか、ひたすら焚き火囲んで夜中語らうことは敬遠してしまいますが、夜早めの時間から近場の山に車で出向いて星見ながらカップラーメン食べて帰ってくるプランならちょっとやってみたいかも。 とは思ったものの、日々の仕事に追われ、出不精も加速したわりにはラーメンつくる前に会社をつくることになり時が経ってしまったわけですが、その日は突然やってきました。 地元のホームセンターのキャンプ用品コーナーを通りかかったとき、お外でカップ麺作戦をようやく思い出したのです。 なるべくコンパクトなガスコンロと折りたたみのイスを購入して、カップ麺と家にあるいちばん小さい鍋を持って霧ヶ峰だか車山へ。 このカップ麺は飲んだ帰り道、帰宅したら食べようと酔っ払いながらコンビニで購入したものの力尽きて、結局食べずに朝を迎えたときのものだったり、そのカップ麺があることを忘れてまた酔っ払いながらコンビニでカップ麺を購入したものの、お湯を沸k(以下略) とはいえそんなカップ麺も長い年月を経てついに日の目を見るときがきました。私がカップ麺なら、意識があるだかないだかわからない酔っ払いに食べられるよりは、目的意識をもったやつに感動を与えながら飲み込まれる方が、カップ麺に生まれたこの人生、やり遂げた感あると思う(※賞味期限はとっくに切れてる) 修行みたいに寒い夜だったのでお湯が沸くまでが永遠だったわりに2分で完食したけど、普段聞かない(そして1曲も知らない)Apple musicの洋楽のプレイリスト流したりして、なんか最高だった。 カップ麺は体に悪いと専らの噂な上に賞味期限も切れてるが、外で食べるだけで健康的な活動をしているように思える不思議。きれいな空気と掛け合わせて相殺・・は、できないか。(おなかはこわさなかった) なにはともあれこの日の教訓を活かして、風防...

年始のご挨拶用フレアタオルできました。

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 フレアを設立してはじめての新年を迎えるということで、オリジナルデザインの年始ご挨拶用タオルをネット注文。 この点線あたりでたたむと↓ こんな感じになるイメージで↓ うん、シンプルながらかわいいぃぃ。色もめでたそう。 だがしかしサイトには備考欄的なのがなくて、たたんだときのことを想定したデザインであることを製作会社に伝えられず。これちょっとでもたたむライン違ってたら試合終了感ある、、 デザインの意図を察してビニール梱包してくれることを祈りつつ発注した、イチかバチかのフレアタオルがようやく届きました\(^○^)/ ワクワクしながら、いざ開封。じゃじゃーん! ・ ・ ・ ・ え(困惑) そう。こういう場合たいがい私の落ち度なんだけど、もしかしたら、もしかしたらお店が梱包し忘れちゃった可能性もなくはないよねっつって念の為確認したら「ビニール個装サービスなし」で発注してた。堂々と。 デザインの意図が伝わるかどうかよりも心配すべきところあった、、もっと初歩的で根本的な。ただちにビニール袋を買いに100均に走ったのは言うまでもないw ビニール袋を手に入れ、100均のありがたみをひしひしと感じながら帰宅して、ビニール手袋して(コロナ禍だし)いざ梱包。 だがしかし、これがけっこう難航、、「キング・オブ・不器用」の名を我がものにしている私がもしタオル梱包会社の人だったら確実に「給料ドロボウ」の名も我がものにすることになるであろうトップ・オブ・鈍くささで、なんとか20枚たたんで袋詰めして今日のところは力尽きたのでした。 (まだめっちゃある) なにはともあれ、明日から汗と涙の結晶タオル持って(おおげさ)皆様のもとへご挨拶に伺います。 あと友人たちには強制的に支給しますw

明けましておめでとうございます(遅)

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 明けましておめでとうございます。🐇 とくに誰にも聞かれないので自ら言いますが、私は12/31〜1/1のド年末&ド年始が1年の中でいちばんすきです。 毎年だいたい12/31に大掃除をしますが、今年もまんまと途中でマンガ読み出したり、アルバム見返し始めたり、クローゼットの整理中ムダに着替えてみたりするので、納得いく状態になるには朝から晩までフルにかかるけどそれがまた良い。 友人が送ってくれた年越し蕎麦と友人が購入したおせちで、実に最高で実に他力本願な2022年最後の食事をして、どうしよ、二年参りとか行っちゃう?とかはしゃいでたのに結局年越しまで起きていられず、むしろ普段より早く爆睡(例年通り) せめて初日の出を見に行こうと渾身の早起きをして、なかなかヒドイ寝起き姿のまま、自宅から車で1時間ほどのところにある「高ボッチ」という名所?に向かったにもかかわらず余裕で間に合わず、峠の途中にある景色のいいラーメン屋さんの駐車場で(勝手に)日の出を見ました。 東側の山がぼんやり明るくなってきて、きっとあのあたりから太陽が昇るんだなと予想して待ち構えてたけど全然左だった(そういうとこ)思わせぶりなオレンジ色に元旦から翻弄されましたが、西側の山の上からしずかに、だんだんに街まで光をとどけて朝を知らせる太陽を見ていると、こんな私でもさすがに神聖な気持ちにならざるを得ません。 大好きなお正月ですが、実際たいしてやることがないのでドライブがてら東京へ(さすがに着替えたし多少化粧もした) 天気が良くて、富士山がバッチリ見えました🗻 途中で立ち寄ったお寺で初詣もして、大好きな屋台も堪能。一泊して、ありったけの商品券駆使して初売りで買い物して帰宅。 2日以降は、お雑煮たべて、お汁粉たべて、最終自分が餅(みたいな顔とおなか)になったり。 家にルーがなくやむを得ずルーを使わないカレー作ってみたりして永遠になにかを食べて過ごしました。"リンゴとはちみつ"っていう、数十年前に見たバーモンドカレーのCMで聞いたワードだけを頼りに知人にもらったリンゴと、友人にもらったはちみつを入れてあとは勘で作ってみたけど、これが意外にも天才的なおいしさだったことは記録に残しておきたいし声を大にして言いふらしてほしいです。 それでは2023年、本年も宜しくお願い致します。

会社設立の日に遡って。

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  2022年がおわろうとしています。 株式会社フレアを設立した今年は、私にとってまちがいなく人生の中の記念すべき年です。 この半年、社長になってどんな気持ち?とよく聞かれます。会社を設立した日の気持ちを綴って、今年の締めくくりにしようと思います。 会社の設立日に設定した6月2日、宿泊していた北海道のホテルでiPhoneの一度目のアラームを消しながら、4歳の誕生日の朝のことを思い出しました。 "誕生日"という概念を知ったのは3歳のとき。 踏み台代わりにしていたちいさな椅子がないと洗面台の蛇口に手が届かなかった私は、4歳になったら大きくなるんだから、踏み台を使わなくても蛇口に手が届くようになると思い込んでいました。 4歳の誕生日の朝、目が覚めてすぐにワクワクしながら洗面台へ行きましたが、もちろん蛇口に手は届かず。私4歳になったのに、大きくなってないよ!と、寝ている母を起こしてクレームを言ったのを覚えています。 誕生日を迎えても、記念日が増えても、それはあくまで書類上や形式上の変化だったり環境の変化で、自分自体が急に変わるわけではないことを、その時母が笑いながら教えてくれました。 基本厳しく、いつも顔色を伺いながら畏れていた母が笑っているときに、私は安心感をおぼえていました。 洗面台よりずっと背が高くなった今でも、やはり「笑顔」と「安心感」が私の中で直結します。 会社をつくるにあたり、フレアとして目指すビジョンを決めました。 「お客様と、働く仲間を100%笑顔にする」 私は、ずっと自分がほしかった "安心" を、私の笑顔を通して与える側になりたいと思いました。 "100%笑顔" の定義は、フレアの活動を通して、たのしさと安心感を提供できている状態のことです。 ・ ・ 会社を設立した朝をどんな気持ちで迎えるのか、ようやくスタート地点に立てたことが不思議でもあり、夢のようでもあり、「わたし」がすごく変わるような、3歳さいごの夜とおなじ気持ちで眠りについたわけですが、実際のところ "社長" になっても、びっくりするくらい私は私のままで、びっくりするくらい私のままだと気づく38歳の私の心の奥は4歳になった日の朝のままで、立場が変わっても自分自体が変わらないことに安心感をおぼえました。 とはいえ時代も...

ケッパコでパコパコしながら帰宅した話。

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  社用車で軽のハコバンを買いました。通称ケッパコってやつです。 会社員時代、社用車を我が物顔で乗っていたことはあっても、まさか自分で社用車を買うときがくるとは、、感慨深いですね、30万の格安中古車とはいえ。 私の自家用車は見た目がかわいい以外になんの取り柄もないポンコツフィアットで、この時期暖房つけても左足だけが灼熱地獄、右足は北極にいるような寒さだったり、足回りがどうかしてるせいで、どんな微細な道路の凹凸であろうと逃さず拾って地震体験車かと錯覚するほどの縦揺れを常に提供してくるので、ケッパコはレクサスレベル(予想)の静けさに思えるし暖房も春の陽射しのようなあたたかさで私を包み込んでくるので本当に快適です。 と、ごきげんで乗っていたケッパコですが、昨日なんの予告もなくトランクがしまらなくなりました。 冬の匂いがする。街の音が近くなった気もする。クリスマス前で賑わってるんかなーっつって季節感じて、あやうく車の不具合で豊かな気持ちになるところだった。 教習所の教官ですら、うん、さすがにもうちょい攻めよう。って言うくらいの過去一安全運転したよね、ちょっとしたカーブとか発進時の振動でフルオープンしちゃうから。トランクが閉まってないから、道路の微細な凹凸に合わせてパコッパコッ・・・・・パコパコパコパコパコパコッ・・スー・・ バコパコッ て音がずっとしてる。これがモールス信号? 真っ暗な山道にさしかかって(高速乗るのはやばそうなので3時間かけて下道で帰った)、なおパコパコからのオープンを繰り返すケッパコに乗りながら思ったの。 もしかしてアレかな、私がオープンカーが好きで、フィアットも、その前のワーゲンも屋根があくやつ乗ってて(いずれもポンコツという共通点もある)今回フィアットが奇跡的に売れて、新しい車もまたオープンカー選んだから、AIあたりが気を遣ってケッパコに指令とか出したのかもしれない。こいつはオープンが好きだぞ、おまえにできること考えろっつって。答えを教えるんじゃなく、自分で答えを見つけさせる人財育成系AI。 で、ケッパコもケッパコで意外とポジティブで、自分天井あけられないっすけど、トランクならあけられるっす!っつって、自分がオープンカーじゃないことでふてくされたりしないの。もうケッパコの未来思考が私の常識のナナメ上をいっててまだついていけてない。よりによってこ...

友人の結婚式

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友人の結婚式にいってきました。 ランチしたり、飲んだり飲んだり、旅行に行ったりする長年の友人です。 美♡ 友人と受付をやらせてもらったので、ひと足先に送迎バスで駅から式場にむかいましたが、新婦からの取り計らいでそのバスのなかですでにハイボールが支給されたw(が、もう1人の友人、強者わかにゃーは駅で集合したときすでにほぼあいた白ワインボトルを片手にやってきたww) (ビュッフェに真剣すぎる我らw) マルジェラ合わせてった🐷 (革がまだ硬くて足痛すぎて、 そんなこともあろうかと持参したスリッパで帰宅) 久々の、THE結婚式ですごく良かった。 今まで友人が築いてきた家族や友人たちとの絆が垣間見れる、笑顔溢れる式でした。ごはんもおいしかった(^^) 好きなひとと同じ時代に生まれたことには、きっとなにか意味があると思う。末永く、たのしく暮らしてね。